現代の神話
久々の衝撃である。本を読んで受ける衝撃というものも、年とともに薄らいでいく。思春期のあの鋭敏な感受性に全身を包まれた時代からすれば、今は年齢という厚い瘡蓋に被われた細い茎のような感性が、この身の奥に仕込まれているにすぎない。それでもこの書には心打たれた。
『原子雲の下に生きて』(永井隆編・アルバ文庫/サンパウロ)─この書をすでに読んでいる人も多いかもしれない。長崎に原爆が投下された8月9日、爆心から700メートルの所にあった山里小学校の児童たちがその被爆体験を綴った手記である。当時この小学校には1300人の児童がいたが、生き残ったのはわずか200名。その彼らが防空壕や倒壊した家屋から奇跡的に這い出たあとに眼にした光景とは、おそらくいかなる人類もかつて見(まみ)えたことがないほどのものであっただろう。
「…もうそのとき、ピカッーと光ってしまった。そして僕は、強い風で、ごうのかべにたたきつけられた。…しばらくして、僕が防空ごうから外を、のぞいてみたら、─運動場いちめんに、人間がまいてあるみたいだった。運動場の土が見えないくらい倒れていた。…三十分もたってから、お母さんがようやく来た。血だらけだった。…お父さんは、待てども、待てども、現れなかった。…妹たちはあくる日に死んだ。…お母さんもそのあくる日に死んでしまった。…おばあさんと僕と二人は、それから毎日、死がいの顔をしらべてまわった。お父さんを見つけるためだった。─けれども、お父さんは生きているものやら、焼けてなくなったものやら、どこにも見つけ出せなかった」(辻本一二夫 当時五歳)
これは現代の神話である。あるいは聖書、仏典である。たしかにこれは子供たちが書いた拙き作文であるが、しかしその血と肉に埋もれた極限世界の中で、無垢なる魂から発せられた言霊の数々は、人類史の彼方に聳える神話あるいは宗教書にも比すべきものがある。それほどまでに、この書にある原初の言葉は恐るべき力で私の胸倉を掴み、大地に打ち据えた。
本当の言葉の力とは何か。そして詩人は何を書き遺さなければならないのか。そんなことを考えさせられる一書であった。
(詩誌『この場所ici』4号より)