なぜ人を殺してはいけないのか
「なぜ人を殺してはいけないのか」─数年前そんなテーマの議論が、新聞紙上などを賑わしたことがある。
しかし、そもそも「人を殺してはいけない」という道徳が絶対的なものだとして議論を始めること自体がおかしいのである。何故ならば、まだほんの200年ほど前の或る国では「人を殺してもよい」という道徳があったからである。つまり人を殺すことがたいへん立派で徳のある行為とされていたことがあったのである。「なんて野蛮な国だ」と思うかもしれない。しかしそのなんとも野蛮な国とは、他ならぬこの「日本」だったのである。
「赤穂浪士」の話はよくご存知かと思うが、明治以前には主君や親、夫などを殺された家来や家族がその敵を討つということはよくあることだった。そしてその行為を番所に届け出て「敵討ち」と認められれば、何の咎めも無かった。それどころか敵討ちとしての「人殺し」は美徳として喝采を浴びることさえ屡々だったのである。
しかし1873年(明治6年)には仇討ち禁止令が出され、もし仇討ちで人を殺したときは通常の殺人罪に問われることになった。これは、「仇討ち」とはしょせん「私的制裁または復讐」であり、近代的国家においてはこの「制裁」は個人に代わって国などの公的権力が為すべきものと考えられたからである。
しかし現代の日本のように近代的法治国家となったとしても、この「仇討ち」や「復讐」という感情が人々の心から消え去ったわけではない。たとえば殺人事件の裁判において、殺された被害者の遺族が被告に対して「死刑」を望み、無期懲役などの禁固刑判決の場合には無念の涙を流すというのは今でもよく見られる光景である。これは被害者の遺族にとってはこの裁判所が下す判決こそがまさに「仇討ち」であり「復讐」でもあるからだ。
ニーチェは、復讐(ルサンチマン)こそが宗教の本質であるといっている。つまり死後の世界に天国と地獄を仮構することによって、この世で正しいながらも不当な扱いを受けたものは死後天国へ行き、逆に不正を行いながら得をしてきた者は死後地獄へ堕ちるべきだという、この世で果たせなかった「復讐」をあの世で実行するために人類が創った壮大なる仕掛けだというのである。
われわれは正義の背後にあるこの恐るべき情念の闇を見落としてはならない。
(詩誌『この場所ici』3号より)